「平凡が幸せ」という言葉

平凡が幸せという言葉は思っていた以上にすごく深く強い言葉だとやっと気づいた。

大きな大きな死を経験した。そして初めて、当たり前のことが当たり前じゃないことに気づいた。平凡を嫌がっていた自分がこれほど平凡の尊さを考えたことはなかった。平凡とは当たり前と認識していること。平凡の尊さを知らずして今の現状を知らずして、ないものねだりや高望みという幻想を抱いていた浅はかな自分。親もよく言っていた平凡が幸せという言葉を直前まで笑ってた。立ち止まることが時間の無駄だと思ってた。走り続けて立ち止まらないで理想を追って攻め続けることが一番強いと思っていた。浅はかだった。

平凡が幸せというのは、死を目の当たりにした人間から生まれた言葉なんだろな。何かを幸せだと感じるためには判断基準が必ず必要で、この判断には反作用の負のかなり大きな要因が必要だったと思う。ただ単に平凡平穏だとそれを幸せと感じることすらできないはずだから。

平凡が幸せ。今はすごく響く。

当たり前を一番に守り大切にし、そこからがっつり走ろう。ギラギラいくぞ。50才になっても80才になっても100才になっても目は輝いていたい。まあ攻める自分の体質は変わらない。大切にする順番を二度と間違えないぞ、と。そして強く生きる。みんな守る。

てか誰だ、こんな深く強い言葉を後世に残したやつはー。もう馬鹿にしない。平凡が幸せ。